正しい感情の感じ方

怒りについてずっと考えていました。

子供たちについ強い口調で怒ってしまう。

優しく伝えれば、わかるのにどうしてこんなにむきになるのだろう?

自分と向き合うようになってわかったことがいくつかあるので、

書いてみます。


余裕がない

疲れている

=自分の気持ちを無視して肉体を動かしている

この場合、やるべきことは自分の今の望みを叶えてあげれるように最善を尽くす。

どうしても、それが叶えれない場合は疲れている、余裕がない気持ちに自分自身が寄り添ってあげるだけでもとても軽くなります。

自分の機嫌は自分で取りましょう。


何かどうしても許せないことがある

=何が許せないのかを自分に聞いていき、何を信じているのかを明らかにする。

誰かに許してないことは絶対自分にも許していない。

それをなぜ信じているんだろう?

過去のどんな経験からそれを信じるようになったんだろう?

いろんな角度から自分を知っていく必要がある。

でも、これは変えたくない。

なら、それは怒りで従わせるというより、

お願いという形でコミュニケーションをとる必要があります。

自分の価値観を人に押し付けない。

正しいと信じているならば、それはただの自分の好みとして認識し直す必要があります。

あなたが大切にしたいことは相手にも理解してもらえます。


そもそも、怒りという感情は

私たち人間の標準装備であって、必要なものという認識がまず必要です。

怒りを否定しなくて全然良いのです。


望み通りではないから怒る。

本来の望みからずれているサインだと思えば、めちゃくちゃありがたいです。

この肉体を望み通りに動かすためのガイドのようなもの。


そして、一番重要なこと。

私は『怒り』って、何のこと?を明らかにみた時に

誰かにぶつけるものだと信じていたんです。

子どもを思い通りにするための手段だと思っていた。

子どもが怒っている時は、なんとかしなきゃと思っていたし。


なんで、そんなことを思うのかと振り返ると

大人(親や先生)たちがそうしていたから

怒られるの嫌だから、言われた通りにする。

未成年の頃、学校でも学年集会やクラスで何かが起きたとき、

必ず、怒鳴り上げて先生は生徒に説教をしていた。

怖くて、私は完全に萎縮。目をつけられないようにしよう。

と思っていました。


でも、学んでいくうちに怒りって個としての感情の一つなんだと知りました。

ただ感じるもの。

感じていいもの。

誰かを従わせるための道具ではない。


いつか、旦那さんと話していた時のこと。

うちの旦那さんは結構先生に怒られることが多くて、

怒られるのは慣れっこだったんです。

中学高校の同級生なのに

おなじ場面で感じていることが全く違った。

『怒ってるな。意味わからんな。』以上。だったのです。笑

頭おかしいんじゃないか?とさえ思っていた!!!

この強靭な精神力あっぱれ!!笑


でも、今は本当にそれが私にとっては心地よい認識だったんだろうと思います。

自分の問題と切り離す。

自分が悪いことをして怒られた経験と同時に全く悪くないのに怒られた経験

どちらも豊富にあった旦那は、

自分の中で、そう信じるようになった。

これによる問題ももちろんありますが、ここでは割愛。笑



そして、いつも子どもに怒ってしまうと感じている人は

怒っている自分にフォーカスしています。

だって、よーく考えてみると怒っている自分と同じぐらい。

もしくは、それ以上。

怒ってない自分もちゃんといるのに。

ただ見てないだけ。


なので、怒ってない時の自分の感情にフォーカスしていきましょう。

その時何を感じているか?

楽しいなー

可愛いなー

癒されるなー

安心するなー

今幸せだなー

こんな時間を大切にしたいなー


そうやって、日頃から、好みの感情を意識して選んでいけば

そこが、拡大していきます。


本当に、自分をみるって面白いので、

ぜひ、やってみてください。


日常がまた一歩彩り豊かになりますように❤︎

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